社長室通信 第118号 『父母の恩を書き出す』

11月20日は私の誕生日でした。

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スタッフからは山登りグッズと

マルチビタミンと

派手派手パンツをいただきました(笑)

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ありがとうございました。




さて、素心学塾では

「誕生日は両親に感謝する日」

と学びます。


誕生日とは

母親が命がけで自分を産んでくれた日、

そして自立した大人になるまで

両親が一所懸命に育ててくれた、

その始まりの日だからです。




私は以前、両親から受けた

「感謝すべきこと」を

書き出してみました。


すると、幼少期はもちろんですが、

成長してからもたくさん支えられていたことに

気づきました。




私の父は、私が高校生の時に他界しました。


亡くなる1週間前、

父は私を病室に呼びました。


反抗期だった私は、

「どうせ会社の跡継ぎの話をするのだろう」

とひねくれた態度をしていましたが、

父は意外な言葉をかけてくれました。


「星児、お前はいつも

 季節の変わり目に風邪をひくから、

 服を1枚多く着るようにしなさい。

 毛布を早めに出しなさい」


父は末期がんで痩せ細り、

身体に管が入っている状態でしたが、

最期は社長としてではなく、

父親として息子を想う言葉を遺してくれました。




父が他界した後、

事務員だった母が社長になりました。


父が亡くなった悲しみと、

経営者になったプレッシャーからか、

母は毎晩泣いていました。


高校生だった私は

何もしてあげることができませんでした。


1年後、大学生になった私が帰省すると、

母は見違えるほど強い人になっていました。


建設業界の女性社長として、

強くならないと生きていけなかったのだと思います。




私が山﨑建材に入社してからは、

仕事のことでたくさん衝突しましたが、

私が社長に就任してからは、

会長として温かく見守ってくれるようになりました。


高校生だった私が父の最期に

「会社を継ぎます」と約束したので、

父が亡くなってから

私が引き継ぐまでの17年間、

歯を食いしばって

頑張ってくれたのだと思います。




こうやってふり返ると、

父と母にはとても返せないほどの

大きな恩があることがわかります。


いま私たちがこうしてあるのは、

両親からのはかりしれない愛情のお陰です。


ですから、自分の誕生日は、

「両親からたくさんの愛情をもらった」

と感謝する日なのです。




今年の誕生日で私は

父と同じ年齢になりました。


お墓参りに行って

1年間見守ってくれたお礼をし、

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母にはお花をプレゼントして

産み育ててくれた感謝の気持ちを伝えました。

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これからも両親から教えられたことに従い、

世のなかに役立つ人間を目ざして

努力していくことで、

父母の恩を返していきたいと思います。










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